あれからの日乗

二、生き辛さ

その墓前にいるうち、気持が吹っきれたようになり、「もういいや、最後の一踊りで」と呟いた。自業自得の積み重ねで、どうせこの先、人並みの社会生活なぞ送れるはずもないのである。(西村賢太「墓前生活」)

彼は一人で遊ぶのが好きな少年だった。往時テレビゲームは自由にやらせてもらえる時代ではなかったから、カードやおもちゃの人形なぞ使った遊びを自ら考案していた。

昔からゲームが好きだった。買って貰ったゲームはクリアに飽き足らず、全要素コンプせねば気が済まなかったし、如何に早く100%クリアを達成するかというRTAの真似事なぞよくしていた。

初めて音楽ゲームに触れたのは小学五年生のときだった。クラスの悪餓鬼の家に遊びに行ったときにやらせてもらったのである。あまりの面白さにゲームを借り、何回も挑戦してねこ踏んじゃったをクリアした感動は彼の原点となった。

彼はよく変わっている、と言われた。普通であることを潔しとしない性格だった。クラスでは敢えて奇行を行うことで道化を演じた。

往々にして出る杭は打たれる。彼は集団の標的となった。誰にも相談せず無言で耐え続けた。

自死の念も過ったが、こんな底辺連中に屈するぐらいならば、生き残っていつか思い切り見下してやろうと思った。

彼は自分の好きな物に対して人よりも物事に没頭できるという特性を備えていた。特に、際限なく上達し続けられるゲームが好きだった。受験はまさにその性質を持ったゲームだった。 

彼が学年で最上位をキープする限り、底辺連中に何をされようと虫の羽音にしか聞こえずに済むし、ただゲームをクリアするだけで周りからは誉められるのである。彼にとって受験は逃避の手段だった。

彼は没頭の対象となる事物以外には目もくれず突き進む。没頭の先に待っているものが破滅であったとしても、である。たまたま没頭の対象がプラスに向いていたのが受験だった。

今となってはこれは発達障害の一種であるように思われる。彼が日頃感じる形の見えない生き辛さ、普通に生きることへの難しさはこれに因するものであった。

結句、「ゲーム」ばかりしていた彼はT大に合格した。地元の呪縛からようやく解放されるも、足掛け六年の代償として彼は自律神経に変調を来たしていた。そして人間と関わることを極度に恐れるようになっていた。