あれからの日乗

彼は、自分が確かに無能に違いない点はすでに覚っていたが、しかし他人から簡単にそうと決めつけられて涼しい顔をされるのは、到底耐えられることではなかった。(西村賢太「人もいない春」)

bmsは停滞期となり、時給千円の生活からも抜けられぬとなると、途端に生きる気力が失われて来る。
しかし死ぬ気力も持ち合わせてはいなかった彼は、長期のエア引退期に入ることにした。

時間だけは有り余っていたので、昔諦めた英語の勉強をやり直そうと考えた。死ぬのはやり残したことが無くなってから検討すれば良い。
一日二十語覚えれば、二年で一万二千語以上にはなる。もしそこまで継続できるのであれば、いずれは英語も得意になっているはずである。

一日一時間を彼は英単語の暗記に充てた。英単語は忘却曲線以上に覚え続けることで必ず伸びる。彼は英語のゲーム性を理解した。

半年ほど掛けて習慣化し、八千語ほど覚えたときのTOEICは860点を取り、確かな手応えを感じた。

ここで、彼は上達とは何か、才能なるものは正しい努力によって克服可能ではないかと思い至った。

「最適な環境」で「正しい練習」を「継続」すること、これが彼の導き出した結論である。

彼がこれまでbmsを上達し続けられたのは、常人よりも遥かに暇な時間を持て余していただけであり、環境も練習も正しくなかったのだ。
そしてbmsにおけるその結論の妥当性についての確認作業を、どうしても行っておかねばならぬ、と考えたのである。

もし発狂皆伝を取れれば今後の人生において大きな意味を持つし、取れなければ彼の人生はそれまでである。その時は潔く公園のベンチで野垂れ死ねば良い。

既に彼は落ちる所まで落ちている。最早何の後憂も無い。どうで死ぬ身の一踊り、そう考えることで、少しは気が晴れる思いがした。