あれからの日乗

落伍者には、落伍者の流儀がある。結句は、行動するより他に取るべき方途はないのである。(西村賢太芝公園六角堂跡」)

彼が最初に発狂十段を取ってから既に三年が経過していた。
彼はエア引退を解除し、改めて発狂皆伝を目指すことにした。

彼が確認しなければならなかったことは、「上達の一般化」である。
その正しさが示されれば、彼は生涯において熟達を続けることが約束される。

彼は思いつく限りのあらゆる方法を試した。正しい環境とは何か、正しい練習とは何かと云うことを思索し続けた。

「環境」とは画面、運指、健康、食生活、精神状態といったインプットとなる変数全てを指す。
長い間時給千円のアルバイトをしていた彼は気付かなかったが、この中に労働環境を含めるのも良い。彼の微温湯の労働環境は、何をするにもあまりに恵まれていた。

「練習」とは、出来る、出来ないの境界にある問題を解き続けることである。
例えば受験で上を目指すのでれば、赤チャートでも白チャートでもなく、青チャートを解くべきであり、難系物理よりも名門の森の方が良い。

それから半年の後に彼は発狂皆伝を取った。あれだけ不可能に思われていた発狂皆伝すら、単なる通過点に過ぎぬことが分かると、自分はどこまで上達できるのか試したい気持ちが生じた。

行ける所まで行き、燃え尽きた後に今後の人生を考えれば良い。誰に評価される必要も無い。己の信ずる流儀を貫くためであれば、他の全てを犠牲にする覚悟を彼は持っていた。