あれからの日乗

3

(いやあ……やっぱり、ブスだなア)(西村賢太羅針盤は壊れても」)

女旱りの中、学校の先生と出会った。

三ヶ月の間、私は先生と文通していた。可愛いらしい文章を書く人で、毎日互いの日常を送り合っていた。

私は物心付いた頃から学校の先生が好きで、クラスのクソ女よりも、余程先生のことが好きだった。

私にとって、こと恋愛においては年上はできればノーサンキューであるが、先生であれば可能な限り許容したい、と思うほどに私は学校の先生が好きなのである。

やはりウイルスで苦労しているようで、大変な仕事だなと思った。そのため、私は自分から会おうとは言わず、適当な時節を待った。 仕事が辛いときも、他の女に手痛い仕打ちを受けたときも、先生は私に優しかった。

先生は写真を公開していなかったが、私としても先生には出会い系に写真を公開して欲しくないし、私が学生の頃の若い先生は全員美人だったので、気にしないことにした。

私はまともな交際歴を持たぬ癖して、六十五点以上の女としか付き合う積もりはないが、この先生であれば五十点までならば許容しようと思ったし、場合によっては先生の住む隣県にいずれは引っ越しても良いとさえ考えていた。

長い文通の末、ようやく会おうと言う話になり、隣県のショッピングモールに赴き、先生を待っていると、

屋久さんですか」

「はい」

私は先生と云う職業を尊敬しているため、これ以上の表現は控えるが、私の中で全てが終わった瞬間だった。

食事に行き、先生の苦労話を聞くも私は上の空で、あの三ヶ月間は何だったのだろうと思うと、虚しさを覚えた。 御礼に出張土産の萩の月を渡して帰り、私は再び連絡を取ることはなかった。

私は、先生全体が好きなのではなく、単純に私が学生の頃の、あの先生のことが好きだったのだと覚った。

私が求めているのは遊びでも女友達でもなく、生涯の伴侶であって、そのため外見抜きの関係なぞ有り得ず、こと婚活において、人間は中身、なぞ云う言葉は欺瞞でしかないし、また、そのようなことを安易に言う人間を信用すべきではない。婚活に求められるのは、冷酷なまでのリアリズムなのである。