4. 婚活とはbmsである
私はbmsを単なるゲームの枠組みではなく、人生との相互作用として捉えている。bmsも仕事も恋愛も全ては人生に通ずる。
私は何を考えるにもbms的な発想をする傾向にあり、それは婚活も同様である。
「最適な環境」で「正しい練習」を「継続」すること、これが人生における熟達の本質であるとするならば、婚活もまたbmsのようなものであろう。
環境とは主として年収、容姿、年齢のことである。
学歴も環境の一つではあるが、学歴はある程度年収と相関を持つと考えられる(持っていない人間が言うのも何だが)ので、年収が主であると思われる。
言うまでも無く、非正規の状態でまともに女に会うことは、自身を鯨の油のような嘘(そんな比喩は無いが)で塗り固めぬ限り、困難である。
つまり、bmsにおいては非正規(ランダム)が良いが、婚活においては正規でなければならない、ということである。
環境が整っていなければ、そもそも女に会えないので、練習の機会に恵まれず、地力は伸び悩む。
容姿については、整形せずとも、大多数の人間においては努力と金で解決可能であるということは強調しておきたいし、これについてはいずれ別エントリに纏めたいと思っている。
環境には生育環境という初期条件に左右される部分もあるが、私の親は全員高卒であり、碌に塾にも行かず、大学の授業料も払っていない(免除)ので、詰まるところ本人の努力次第で何とかなるものであると思う。
問題は年齢で、こればかりは努力ではどうにもならない要素なので、思い立った時点で始めるべきである。
年齢についてはbmsも同じであり、bmsを本気で始める場合は若ければ若いほど有利である。ただし、若くしてbmsを本気で始める場合は、同時に野垂れ死ぬ覚悟も必要となるので、bmsと心中するような生き方については私は推奨しない。
練習とは女を相手に会話、文章、行動の修行をすることである。 女からのフィードバックを見ながら、自身の選択の正しさを判断する。
うまく行かなかった場合、ギャルゲー同様、こちらの選択肢ミスだったのか、或いは女に問題があったのかを考えた上で次に活かす。
継続とは婚活女相手に日々練習を重ねることである。どれだけ女に振られようと代わりは幾らでもいるので問題無い。歩を止めた時点でこちらの負けである。
つまり、婚活とはbmsの要素を多分に含んだ、熟達可能なゲームである。
しかし、大きな相違が一つある。
このゲーム、長く遊んだところで全く楽しくないということである。