あれからの日乗

帰宅

午前八時、起床。豪雨に見舞われ、養老渓谷駅まで車で送ってもらう。

養老渓谷駅で、トロッコの乗車券を購めるも、まだ十時を少し過ぎた辺りであり、トロッコが来るまで二時間半ほどある。雨も降っているし、駅舎の椅子で開発でもやろうかと思うも、吹き曝しの椅子は寒く、辺りを散策することにした。

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少し歩くと、赤と青の二本の橋が掛かっている。青の橋の方が高所にあり、眺めがよい。

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民家の中に、突如ラーメン屋が出現した。

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味は、いたって普通の町中華であった。観光客向けというよりは、この辺りの住民向けなのだろう。

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なかなか時間を潰すのが難儀であったが、ようやくトロッコが来た。

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五井行きのトロッコは人気が無く、ほぼ貸し切りの状態である。しばし童心に返り、道行く人に手を振りつつ、トロッコを楽しんだ。

内房線で千葉に戻り、総武線に乗り換え、二泊三日の異世界探訪を終えた。

感想として、やはり私は旅行に興味が無いということをよく理解した。帰ってからは外出の反動で全く外に出なくなり、帰省の予定もキャンセルした。この御時世だから、ではなく、先月の800k超の支出のダメージが大きく、これ以上余計な出費をしたくなかったのである。

こうして、家でひたすらアニメを見ているだけの日常は何年振りだろうか。半無職のときであれば、好きなだけこのような生活を送ることも可能であったが、それをやってしまえば、自分は半無職ではなく真に無職になってしまうと考え、自己を律していた。今はそのような枷も無い。これが恐らくは自由に無職的日常を謳歌できる最後の機会であるから、この日常を思う存分満喫し、後悔せぬようにしたい。

大多喜

午前八時起床、バイキング。張り切って皿を取り過ぎる。

内房線で五井へ向かう。ジャージ姿で闊歩する女の子を見ると、これぞ田舎だなアと、感じる。

五井から小湊鉄道に乗り換え。小湊鉄道と言えばトロッコである。せっかくなので乗って行こうと思い、

  • 「トロッコの当日券、ありますか」
  • 「すみません、今日やってないんですよ」

出鼻をくじかれた。

明日であればやっているそうなので、予定を変え、翌日に予定していた大多喜を本日に変更し、養老渓谷に戻って一泊し、翌日に養老渓谷からトロッコで五井に戻ることにした。

ローカル線の錆びついた車体が、大きく揺れながら走る。女子高生二人が仲良さそうに話している。この子たちは、どこの学校に通っているのだろう。

乗客の大半は、上総牛久という駅で降りて行った。乗客は既に数名しかおらず、ここからが本格的な秘境への入口である。こんな駅で終電を迎えたら飢え死ぬだろうという駅に、鉄道オタクの集団がたむろして、写真を撮っていた。あの手の集団は、格好良い車体の写真を撮る努力よりも、先に自身の身なりを何とかすべきだと思う。

山、山、田、山。このような田舎にも家はあり、人も居る。いずれは辺りにコンビニすら無い田舎に越し、静かなる隠遁者として余生を過ごすのも、そう悪くはないかも知れぬと思われてきた。

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上総中野にて、いすみ線に乗り換える。ここからは小湊鉄道からいすみ鉄道という別会社のローカル線となる。

大多喜駅にて下車し、降りてすぐ目の前に、復元された大手門に出迎えられる。

ぐるりと坂を上り、学校を通り抜け、ぐるりぐるりと坂を上り続けると、大多喜城に着く。城というものはガードを堅くするため、だいたいは行き辛い場所にあるようである。

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城の周囲には土塁が巡らされ、周囲には夷隅川が流れている。復元天守があり、中身はただの博物館であるが、やはり天守があると城に来た感じがする。

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途中の休憩スペースにて、森林浴。風が気持ち良い。

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城の坂を下り、大多喜で有名なとんかつ屋でも行こうと思い、軽く遠回りを試みると、ハイキング用の山道に迷い込んだ。山には人一人として居らず、足滑らせたら死ぬなあと思いながらも、一時間近く歩いて下山し、とんかつ屋で一休みした。

大多喜からいすみ線で上総中野まで戻り、バスで途中まで行き、そこから二十分歩いて養老渓谷の旅館と向かう。途中にある個人商店が町民の唯一のライフラインであり、ここから先には自販機すら存在しない。

個人商店にて、昭和の香りのするアイスを購め、二十分ほど歩くと旅館へと辿り着いた。

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荷物を置き、周囲を散策する。観音橋を抜け、急勾配のトンネルを抜け、足場の悪い階段をひたすら上ると、立國寺に辿り着く。ここは源頼朝ゆかりの地らしい。参拝を済ませ、元来た道へと戻る。

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フランス料理屋の方に歩くと、二重トンネルがある。掘り直しによってトンネルの上に穴が残ったままになっているという稀有なトンネルである。

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そこから渓谷に降りて、しばし川の流れを楽しむ。疲れたのでハイキングコースの方へはゆかず、旅館へと戻り、黒くてぬるぬるする温泉に入り、疲れを癒やした。

温泉は正直言って、温泉だけ見れば練馬の温泉の方がレベルが高いと感じたが、温泉というものは、入るまでの過程が重要なのだと感じた。

旅館の料理を食べる。不味くはないが、美味くもない。このグレードの旅館に文句を言っても仕方が無いが、大事な人を連れて行くならば、もっと良いところにしたい。

酔いが回り、アルコールが抜けるまで、しばしの眠りに就いた。

底辺日常系

底辺日常系

私が好きなウェブ日記のジャンルに特に決まった呼び名は無いと思うのだが、「底辺日常系」「ダメブロガー系」とでも呼べば良いのだろうか。私はそういった類のエントリを好んで読む。或る者は底辺の日常を綴り、或る者は底辺から逃れようと足掻く。

こうしたウェブ日記は、達観しているものほど面白い。逆に、親の金で好き勝手しているだけのクソ日記は全く面白くなく、読んでいて苛々してくる。また、彼らが成功を手にすることは稀だが、実際に底辺から脱出した体験を綴ったウェブ日記は、読んでいてとても得られるものがある。

この日記は一読の価値あり。三十代職歴無しニートから、警備会社のアルバイトを始め、今では警備会社の管理職になっている。これは相当なレアケースではあると思うが、職歴無しで年齢を重ねても、諦めてはいけないということである。私は八年近くのブランクがありながら、今では某大学卒の平均ぐらいは貰っているので、新卒カードなぞ捨て去り、音楽ゲームや自分の好きなものに人生を捧げる選択も、そう悪くはないのかもしれない。まあ、それによって野垂れ死んだところで、私は何の責任も取らないが。

私は、マインドだけは彼らに通底するものを持っているが、もはや無職でもフリーターでも子供部屋おじさんでもないから、私が底辺日常系ダメブロガーを名乗ることは許されず、何とも中途半端な立ち位置となっている。

音楽ゲームを止めた人間は多くが消息不明になり、私もその一人であった。このウェブ日記の存在意義は、そうした行方不明者のその後の生態を知る上での一史料、といったところだろうか。

四月の婚活

会って話した人数は正確には数えていないが、累計でぼちぼち三十人に達する。女にどういう話をすると良いか、不味いか、会話のパターン化、空気の読み方は随分身に付いたと思う。恋愛は学校で教わらないだけで、解法のパターン化という点では、受験と大差無いのではないかと思うようになった。今の私に必要なものは、詰まるところ地力上げである。

四月の収支

-830k. 引越しと家電PC買い替えで過去最大級の出費。現金が大幅に減ったため、私のポートフォリオは、既に株で所有している資産の方が多くなっている。

現状で貯蓄に回せるのは多くとも月に十万ほどであり、四月のマイナスを取り返すだけで八ヶ月以上掛かる。今年は既に一月に-550kの大敗を喫しているから、現時点で今年一年間の収支マイナスはほぼ確定となった。

来年以降で取り返せば良い、とは言うものの、いずれ独身のアドバンテージを捨てるのであれば、今のうちに質素倹約しておかないと不味いよなあ、と思う。

家賃を大幅に上げたことで、貯蓄面ではかなり不利になったが、収入を高めるモチベーションが生まれたのは良し。コンビニまで徒歩一分のため、既に宅配飯は止めており、来月からは冷凍食品主体に変え、食費は以前の半額以下に抑えられそうな感じ。

佐倉

旅立ちの前に、友人に会い、無職になったことを報告する。私は人生を半分降りると決め込んだ際に、友人の殆どを自発的に失ったが、Sとは未だに親交がある。

Sは私よりも一回り賃金が高く、既婚である。しかし、四人家族と独身では、自由度において私に分がある。

私もいずれ所帯を持てば、このような自由な旅は二度とできまい。もし、私が変な女に捕まろうものなら、生涯奴隷契約を結ばされることになるのであり、女選びは慎重を期さねばならぬのだが、私は言うほど相手を選べる立場に無いのだから、困ったものである。

旅立つと決めたものの、特に当てもなく、都営新宿線の終着駅、本八幡へ着く。

着いてから、一思案する。私の意中の子は、千葉の出だったから、千葉を巡ってみるとしよう。

千葉と言えば、大学の新歓で行って以来である。私は当時から重度のコミュニケーション障碍を抱えていたから、誰とも会話することなく帰ったのであった。九十九里の、どこまでも真っ直ぐに続く砂浜だけは、記憶に残っている。

かと言って、海岸線の方に出る気も起きてこない。私は瀬戸内の生まれであるから、海は特に珍しくもない。川崎長太郎ゆかりの、富浦方面に出るのも良さそうだが、今回は山へ行き、温泉にでも入って疲れを癒やすことにしよう。

本八幡から、京成本線を成田方面に向かい、京成佐倉で降りる。そこから右手に大通りを進み、坂を上っていくと、佐倉城らしき山が見えてくる。

坂の途中にある、国立歴史民俗博物館に寄った。

軽く寄る積もりだったのだが、展示場が六つもあり、縄文時代~現代まで時代毎にブースが分かれており、予想外に楽しく、全てをまともに見ていると丸一日要しそうだったので、途中からは駆け足で通り抜けた。現代ブースの左翼臭がやや鼻に付いたが、展示の雰囲気は非常によくできていると感じた。いつかまた時間のあるときに、来てみたいものである。

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国立歴史民俗博物館から、さらに坂を上ると、佐倉城に着く。といっても、天守も城壁も何も無い。辺りは犬の遊び場と化している。

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そもそも、佐倉城は土の城であり、石の城壁を持たない。一見するとただの公園だが、土塁や空堀、馬出を見ながら、ここで敵の侵入を防いでいたのか、なぞ城を攻める側、守る側の立場で思いを巡らせながら楽しむものらしい。

そこから歩いて京成佐倉に戻り、京成佐倉の隣の、大佐倉駅で降りる。佐倉の親分のような名をしておきながら、辺りにはコンビニすらなく、辺りには農家の老人以外誰も居ない。こんなところで降りて大丈夫かと不安になる。

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佐倉駅から十五分ほど、車も通れぬような畦道を歩くと、本佐倉城に着く。本佐倉城は山城であり、途中でちょっとしたハイキングコースを通り抜け、ようやく辿り着く。佐倉城と同じ土の城だが、こちらの方が当時の面影がそのまま残っていそうな感じ。

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辺りには人も犬もおらず、しばし、私一人だけの本佐倉城を満喫した。

元の道を引き返して、大佐倉駅まで戻るのも面白くないので、成田線酒々井駅まで、三十分ほど歩くことにする。

まだ宿を取っていなかったため、歩きながらどこに泊まるか思案する。適当な旅館でも探そうかと思ったが面倒になり、成田線で酒々井から千葉へ向かい、さらに内房線で木更津へ向かい、ビジネスホテルにて、一泊。

私は生まれてこの方、まともに旅行というものをした験が無い。

家族で旅行に行けるような裕福な家庭ではなかったし、大学でも仕送り無く、学費は免除、月七万の奨学金と月一万のバイト代から、一万の豚小屋代、一万の光熱費、二万の食費、一~二万のゲーセン代を減ずると、他に充てられる金は殆ど残らなかった。

私の唯一の旅行らしい思い出は、18きっぷで片道十五時間掛かる貧乏帰省をしたことぐらいである。レアな筐体を求めて、途中で様々なゲーセンに寄りながら二泊三日で帰省を行った。私は鉄道オタクではないから、東海道本線の永遠にも思われる長さには絶望を覚えたし、旅館に泊まる金も無く、千円で漫画喫茶に泊まっていたから、旅行というより、ほとんど罰ゲームみたいなものであり、二度とやりたくないと感じた。何より、結局大した筐体は見つからず、一番のレア筐体は私の実家付近のゲーセンのポップン6である(もう無い)ということが判明しただけであり、全くの徒労に終わった。

現在、私は音楽ゲームをエア引退した身であり、半無職が辛うじて社会人の振りをして生きているというだけに過ぎない。私のかつての生きがいは音楽ゲームの上達のみであり、私は自らそれを捨て去る選択をしたが、失った代償はあまりにも大きかったことに気付く。

音楽ゲームだけが取り柄の人間が音楽ゲームを捨てると、後には脱け殻のような人生だけが残るのである。つくづく、自らの人生の慊りなさに嫌気が差してくる。

僅僅三週間の無職期間は、学生の頃の長期休暇に比べれば大した長さではないが、恐らく私にとっては二度と無いものであり、この最後の休息を引き籠もって過ごすのも、些か勿体無いように思われてくる。

かと言って、この御時世に旅行というのも、気の進むものではない。私はウイルス自体は特に恐れていないが、およそ理系の人間には受け入れられぬ、非合理的な論理がまかり通っている異常な空間に嫌気が差し、常に引き籠もっている。

このクソ詰まらぬ人生と無能感が、一時の逃避行によって紛れれてくれれば良し。もし何も変わらなければ、私はインターネット上から速やかに自殺し、以後誰とも関わることなく引き籠もり、静かに貯蓄し、隠遁者としての余生を送ればよいのだ。

ひとまず、旅に必要なアイテムをリュックに詰め込んだ。シャツ、インナー、パンツ、靴下を各二着、傘、化粧品、小型バッテリー、Surface Go、百名城スタンプ本、御朱印帳、サプリメントプロテイン。総重量は3kg程度である。

Surface Goは、今後のワーケーションにおいて出番がありそうなので、購入しておいた。軽量ながらも、PassMarkスコア3000, RAM 8GBと、最低限の開発に堪えられる端末である。小型マウス、小型バッテリー、小型アダプタを別途購入すれば、周辺機器も含めた総重量を1kg程度に抑えることが可能である。

百名城本と御朱印帳は、多少かさばるが、旅の痕跡を何らかの形に残すために、持って行くことにした。プロテインは非常食用に小分けにして用意してある。

何の予定も立てておらず、飽きたら途中で止めると思うが、そうすればまた以前のように引き籠もり、着々と隠遁の準備を進めてゆきたい。

脱毛記 9

全身一回目(髭八回目 & VIO四回目)

ここからは隔月で全身照射を行う。全身一回の照射はPS5の定価より高いが、私にとっては、PS5の購入よりも、体毛を速やかに抹殺し、自身のQOLを高めることの方が優先される。

クリニックによっては、全身照射に髭とVIOを含まない場合が殆どだが、このクリニックは一回の照射で髭も含む全ての部位を照射可能である。

パーツ毎の脱毛は何度も行っているが、一気にまとめてやるのは初めてであり、髭やVIO単体でもそこそこ痛いため、ちょっとした手術のような緊張感で以て、クリニックへと赴いた。

看護師は男で、順番は、上半身表→下半身表→下半身裏→上半身裏→O→VI→髭だった。

あまりの痛さに、途中で何度か挫けそうになった。なぜ大金を払ってこのような拷問を受けねばならぬのかと、後悔の念に苛まれた。

一番痛いのは間違いなく足である。足は濃い上に範囲が広いので、他の部位よりも痛く、苦しむ時間も長い。次点がVの付け根付近と、鼻下と顎髭である。

ずっとアイマスクを付けていたため、時間の流れが分からなくなっていたのだが、終わってみると全部で二時間半掛かっていた。私の時間の見積もりが甘く、この後、友人と会う予定があったのだが、流れてしまった。

全身を一気にレーザー脱毛するとなかなかの拷問になるので、初心者にはお勧めできない。ある程度パーツ毎の脱毛で毛量を減らしておき、脱毛の痛みが減ってきた頃に全身照射で殲滅するのが良いと思われる。

これから約一年ほど、髭は月一、全身は隔月で照射していく。髭は月一と高頻度で照射しているため、一ヶ月のうち、髭が生えている期間が一週間ぐらいしか無く、すこぶる快適である。

髭七回目からの途中経過

以下、おっさんの自撮り写真のため読まない方が良い。

七回目の脱毛から一ヶ月経ち、丸一日放置した状態を示す。

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退職した

四月をもって、現在の会社を退職した。ここにその顛末を記す。

転機

そもそも、今の会社は、職歴無しの半無職の私を拾ったのであって、私はその恩義に報いることは当然のこととして考えており、社長もいずれは社の中心人物に私を据えたいという思いを持っていたから、その期待を裏切る積もりは無かった。

転機となったのは、上司が退職したときのことである。上司にLinkedInに登録しておくと将来のために良いよ、と言われたので登録したところ、リクルーターから大量のコンタクトが来たのである。

英語を喋れない私に対し、外国人のリクルーターは私に容赦のない横文字を送ってきた。将来のキャリアプランについてディスカッションしようぜ、なぞ言われても困る。

その中でも一件だけ、私の気を引く求人を紹介され、担当者から話を聞いてみたところ、これぞまさしく私の求めている志向性ではないかと感じた。

最近は在宅勤務が多く、平日にオンライン面談を簡単に行えるということもあり、翌週には技術責任者たちとの面接を行うことになった。

一次面接

いきなりCTOやらカタカナの多い役職の人達との一対四の面接を行うことになった。どんな圧迫面接になるのかと思ったが、そんなことは全くなく、是非来てよ、質問あったら今のうちにどんどん聞いてよ、というフラットなノリで、良い雰囲気で終えることができた。

翌日には通過のお知らせを頂き、翌週には早くも社長との最終面接となった。

最終面接

仕事が忙しく、一次面接はあまり準備できなかったため、最終面接はちゃんとしておこうと思い、一年振りにカラオケに行き、台本を準備して喋る練習をした。

しかし、想定問答集については殆ど問われることはなく、社長の面接は、僕は質問しないので、逆に僕に質問してください、というスタイルであった。逆質問については事前に大量に用意しておいたこともあり、何とか間を持たせることができた。

話を聞くと、何と言うか、惚れた。私のやりたいことの方向性と、社長の野望が完全に合致していたし、この人であればついて行っても良いと感じた。

最後に、社長からの質問が一つだけあり、長すぎる空白期間に私が何をやっていたかを問われた。普通の会社であれば、真っ先にそこを問われ、怪訝な顔をされて落とされるところである。

私は、この人には一定の事実を述べても良かろうと、私のゲームに懸ける想いを語ると、素晴らしい、私は君のような変態こそ求めていた、いずれは社の中核になってほしいなぞ、お褒めに与り、面接中に事実上の内定と給与の確約を得た。

内定

翌日には正式な内定通知を頂き、二週間弱のスピード採用となった。必要な手続きや面接は全てオンラインで完結しており、他の会社については、面接以前に履歴書すら出していない。

かつての私の就職活動はあまりにもイレギュラーであったが、転職もまたイレギュラーなものとなった。私は、転職活動らしい活動を一切していないのである。

退職手続き

むしろこちらが本番で、辛いイベントである。ほんの一、二週間前までは、私自身も転職することを全く想定していなかった。恐らく今の会社に残り続ければ順調に昇格していたと思うが、今の会社と新しい会社を天秤にかけると、新しい会社の方が全てにおいて勝っているのだから、迷う理由が無かった。

結局、私の人生は私が決めることであって、会社の奴隷となってはいけないのである。

先方からはGW空けから来て欲しいとの要望あり、随分急な話になってしまったなあと思うも、その方向で調整を進めることにした。

今の会社からは当然ながら引き留められたが、既に内定承諾済みであるし、私の決意が揺らぐことはなかった。私の給与を上げるという話も出てきたが、そのようなゴネ得がまかり通りるようなことはあってはならず、だいたい、今更そういう話をするぐらいなら、最初から他所に行く気を起こさせないぐらいの額を提示しておけばよかっただけのことである。

引き継ぎ、退職

業務が属人化しているのは組織の問題であって、私の責任ではないのだが、属人化を可能な限り解消して引き継ぎを行わねばならない。私は一人で複数プロジェクトを抱えており、一ヶ月半程でこれらを全て後任者に引き継ぐのは並大抵の事ではなかった。

四月は引き継ぎ資料の作成など、面倒で退屈な作業ばかりしており、労働へのモチベーションは過去最低のものとなったが、引き継ぎや挨拶を無事に終え、後腐れ無く退職することができた。

新しい会社へ

一言で言えば、「イケてるスタートアップ」である。フルリモートが当たり前で11時出社で良いらしい。

元々転職する積もりも無かったので、給与についてはかなり吹っ掛けたのだが、即決で受け入れられ、殆どニートのような半生を送っていた私であったが、今やニートの手に余る金額を得られるようになり、つくづく人生とはよく分からないものである。

変態の居場所

私のような人間は、大企業の組織の一員として、年功序列の世界で生きることには根本的に向いていない。

私は天才ではないが、変態的人生を送っているのは確かであり、変態的カルチャーを持つスタートアップとは相性が良いようで、私のような人間にしかできないこともある。

そういった変態的素養を持った人間は、そこそこの大学に入って、そこそこの企業で定年まで勤め上げる人生よりも、スタートアップに入り、0から1を生み出せる環境で自身の個を活かしながら、自由に働く方が向いていると思う。

勝てるフィールドを選ぶ

「俺には……bmsしかないんですよ」

bmsと心中するというのも、大いに結構な人生だと思う。私は正直なところ、最後までbmsと心中したかったが、入水直前で引き返したのであった。異世界に無職として転生したら、もう一度bmsと心中したいと思う。

音楽ゲームに人生を捧げた結果が今の私である。だから音楽ゲームだけやっていれば良いなどと言う積もりも無く、曲がりなりにも並の社会人よりも苦労して生きていた自負を持っているから、今の私がある。

私は、社会人としてのスタートを切るのが大幅に遅れたので、自身の強みを活かせ、競技人口が少なく、かつ十年後に確実に需要の出てくるマイナー分野を選んだ。結果としてこれが正解だった。

私の人生は回り道ばかりだが、結果的には全て良い方向に進んでいるので、回り道ばかりの人生も悪くないものだと思う。

楽に転職するために

私が感じたこととして、必要なものは、

  • 一年以上の社会人経験
  • 英語力(LinkedInに登録する場合)

だと思う。どんなにブラック企業でも一年は修行と思って耐えた方が良く、何かしら学べることはある。IT系であれば箔付けのために幾つか難関資格を持っておくと尚良い。

TOEICはただのクイズゲームであり、英語力とはさしたる関係も無いが、満点近く取っておけば、相手は勝手に英語ができる人と思ってくれるため有利に働く。

仕事とはゲームである

私の考えるゲームの要件を三つ述べると、以下のようになる。

  • 楽しい
  • 成長できる
  • 明確な実力の指標を持つ(クリア状況など)

成長できる、とは言い換えれば、今日の自分は昨日の自分より強いということである。音楽ゲームでは単純に一日単位では強くなれないことが多いので、週や月のスパンで考えた方がよい。

そして、仕事の要件については以下のようになる。

  • 楽しい
  • 成長できる
  • 地力=年収

三つ目が特に重要で、遣り甲斐だけで大した金を出さない会社は、単なる搾取を行っているだけであるということは、肝に銘じておくべきである。

展望

経済的自立を獲得するためにも、年収については現状で満足するつもりはなく、今の倍は得られるようになりたいと思っている。現状の私にはまだそこまでの地力は無いので、日々地力上げに励み、いつかは豊かな人生を手に入れたいと思う。

以上、何の参考にもならぬ転職記ではあったが、私のような変わった人間にはきっと得られるものがあると思う。次の人生に備え、束の間のバケーションを満喫したい。