あれからの日乗

見失っていたことをハッキリと自覚したんなら、取り戻せばいいだけのことに違げえねえ(西村賢太芝公園六角堂跡」)

彼のbmsは上達の軌道に乗り、以前は不可能と思っていた譜面にも手が届くようになっていた。
生活のリズムが確立され、アルバイト、勉強、bmsの調和が取れた生活には今までに無い充足感を覚えた。

六年のアルバイト生活の後に、彼に一つの変化が生じた。
他人とのコミュニケーションが以前ほど苦ではなくなったのである。

いつの間にかヘンな客をあしらうのも上達していたし、電話でも客先でも普通に話せるようになっていた。
結句他人とのコミュニケーションの大部分は練習によって解決できる問題であって、彼にはその練習をする努力が足りていなかったのである。

となると、俄に彼は自分が普通に就職できるように思われ始めた。職歴が無くとも、そのブランクを埋めるに余りある能力を示せば良いだけのことである。

彼は時給千円と云う身分でありながら、そこらの微温湯で生きている社会人よりも遥かに努力している自負を持っていた。

彼はアルバイト先の会社の社長からも能力を認められ、勤務中に古本相場検索ツールを開発する特権を得た。レジ打ちしながら開発と云う、斬新な勤務スタイルである。

もちろん時給は千円据え置きである。それでも彼が開発を引き受けたのは、そのツールを就職のポートフォリオとするためである。

レジ打ちと云う非生産の時間を勉強の時間に変えられたことは有り難かったし、また、エンジニアの人権を無視したこの勤務スタイルは、何んとしてもこのアルバイトを辞することを彼に決意させた。

この頃彼は貿易の副業を始めた。大して稼げず、古本稼業と同じ在庫リスクを抱えるビジネスに慊さを覚えた彼は、直ぐに其の副業を止めてしまったが、プログラミングによる仕組み化や英語の勉強を進める上で、大いに役立つものとなった。

TOEICを満点近く取り直して卒業し、ポートフォリオも完成したところで、後は彼を拾う神を待つのみとなった。