あれからの日乗

人間七級

音楽ゲームに心血を注ぐ人は、いずれは引き際を弁えて自然消滅するか、自滅覚悟の一踊りを続けるかの二者択一を迫られる。引き際を弁えた人はインターネットの世界から消滅するか、音楽ゲームを卒業して一般人としての余生を送る。そうでない人は音楽ゲームに自らの人生を投影し、破滅するまで音楽ゲームに縋り続ける。些か極端かもしれないが、私はそのように認識している。

私は音楽ゲームに心血を注ぐ人の単なる実力以上に、その人の人生に対する姿勢に強い関心を持っている。私がリンク一覧に掲載しているウェブ日記については、私が単なる音楽ゲーム記録日記ではないと認めたものである。

以下、音楽ゲームとは直接の関係は無いが、私の人生に影響を与えたウェブ日記を紹介する。

私は学生時代にばいお氏のウェブ日記を読んでいた。ちなみに、東大卒ニートは別に天然記念物レベルの存在ではない。修士だろうが博士だろうが進路不明者は一定数存在し、詳細は不明だが、一説にはニートやフリーターになったと言われている。彼らはばいお氏のように表舞台に出て来ないだけである。

こうしたウェブ日記を読むことで、一時の清涼剤とはなるやも知れぬが、社会に呪詛の言葉を投げ打とうとも、自身にとって何ら救いを齎すものではない。就活くたばれと叫んでみたところで、この社会が何も変わることはなかったのは事実である。

ばいお氏は2010年以降消息不明となっている。現在は田舎の片隅でひっそりとニートをしているのか、或いは彼なりの成功を手に入れたのかは知る由も無い。

私はばいお氏に同調しつつも、この救いの無い人生に希望を見出したかったので違う道を選んだ。私は音楽ゲームに人生を仮託することで救いを得ようとした。その体験が無ければ、今の私は存在していない。

当時は既卒であるだけで人生半分終わったも同然の扱いを受けており、ばいお氏にとっては不遇の時代だった。今の時代であればハローワークに通う必要もないほどに既卒者向けのプラットフォームが整っており、恐らくはばいお氏も普通に就職できていた。或いは私もばいお氏と同時代を生きていたならば、同じ道を辿っていたかもしれない。

もう一人別の方を紹介する。

オナニート氏もばいお氏と同時期から活動されている方である。この方は修士を出た後ニートになったと記憶しているが、今はアメリカで働いている。文章を読めば分かるように、なぜニートをやっていたのか分からないほど文章のレベルが高く、私もオナニート氏のような論理的な文章に憧れている。

彼らの共通点は、恋愛について書かなかったことである。ばいお氏は「セックスしたら負け」の諦観者の立場を取り、オナニート氏はそうした内容を殆ど論じていない(が、今は結婚されているのではないかと思っている)。しかし、そもそもスクールカースト最下層たる私が恋愛について論ずる以前に、女性とはまともに会話したことすらなく、語れるものを何も持っていない。

会社には女性はほぼ居らず、ならば無理矢理出会いを生み出すしか無かろうということで、不自然な出会いの謗りを受けようとも、マッチングアプリによる出会いなぞ求め始め、発狂皆伝・人間七級・恋愛七級たる私の無様な足掻きを、ここに遺してゆくことにした。