あれからの日乗

(4) 「ゲーセンに行く服」を考える

(3)の続き。

人は中身と言う前に鏡を見よ

そもそもまともに付き合う相手を得たいのであれば、自身もそれに見合った努力をする必要がある。その中でも、容姿が最も努力を形として表しやすい要素である。

内面重視なぞ云う欺瞞は、自分が相手を見た目で判断している以上は通用しない。内面の評価は外面の足切りをクリアして初めて有効になるのであり、外面でマイナス評価を食らうと、スタート地点にすら立てないということは、私も身を以て体感した次第である。

服はドラクエの防具である

横山健という恋愛コンサルタントが、恋愛をドラクエに喩えている。氏の理論は全体的にチャラく、私は全てに同意するわけではないが、ゲーム脳の私には合った考え方である。

横山氏によれば、服はドラクエの防具の役割を果たしている。ならば、防具ぐらい揃えてから戦いに挑むのは当然の準備であると言えよう。

ファッションとは利他的な行為である

私の尊敬する人が、ファッションとは自分の為ではなく相手の為にするものである、と言っていた。

私の本音としては、服を買うぐらいならばその金で技術書を買いたいところであるが、ファッションを利己ではなく利他的な行為である、と考えれば、多少は容姿を整えることに金を掛ける意味も分かるのではなかろうか。

例えば、訪問先の重役に挨拶する際に、ヨレヨレのシャツ、ズボンと履き潰した靴、伸ばし放題の髭、寝癖のついた髪で行くことが相応しい恰好かどうか考えてみると良い。

同様にして、女の子に会う際には、それに相応しい恰好をすべきであると言える。

「ゲーセンに行く服」を考える

我々にとって最も卑近な例として、「ゲーセンに行く服」について本気で考えることが、良い練習問題になるのではないかと思う。これはDDRをやりやすい服装、という意味では決してない。

ストイックに腕前を研鑽することは素晴らしいことだと思うが、どれだけ上手くとも変な恰好をしていると傍から見ればキモオタにしか見えないのが現実である。

そこで、人前に出る行為の全ては女の子とのデートに相当すると思えばよい。

実際に、私は女の子と会うときも、男と会うときも、ゲーセンに行くときも、全ては同じ人前に出る行為であると考え、常に同水準の恰好をしている。

ファッションを定性化する

ファッションが難しい理由は、それが定量化困難な指標だからである。

ファッションはドラクエのように、プラチナシリーズで装備を固めれば「かっこよさ」が上がるといったような分かりやすいものではなく、ファッションの妥当性を数値化することは困難である。

そのためファッションについては定量化ではなく傾向の把握、つまり定性化を考えればよい。

着るべき服と着るべきでない服さえ理解しておけば、大きく外すことは無くなる。ファッションの理論を真剣に勉強する必要は無く、安定して70点程度を取れるようになるだけでも、外見による足切りは回避しやすくなる。

(5)に続く。